どの分野を学ぶ際にも過去の事実を知ることは重要です。
カナダは、オーストラリア、アメリカ、ニュージーランドと同じく、植民地時代の過去を持ち、歴史的に移民に関して似たような過去をたどってきています。
過去の移民法は、白人権力の中心性を強調するもので、人種差別がありました。現在は人種差別が禁止されていますが、歴史的背景を知る事で、現在の法律や政策を意識して把握すること大切です。
中国人に対しての特例税金”Chinese Head Tax”
1885年に制定された移民法(Immigration Act of 1885)では、中国人移民に50ドルが課税され、この額は徐々に500ドルに引き上げられました。また中国人男性は家族をカナダに連れてくることが禁止されたり、その他にも過酷な労働条件がありました。このほかにも、中国人やその他のアジア人がカナダに永住するのを阻む目的で、さまざまな法律上の障害があったようです。
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日本人のカナダへの移民の歴史
1901年:当時カナダの人口は500万人で12%が移民でした。この当時から日本からの移民も記録されています。(5年間で4,674人)
1906年:BC州に到着した日本からの移民はこの年だけで2300人に増えました。
1907年:日本政府が自主的に日本人移民を制限することで合意した。カナダへの移住を年間400人に制限することで合意した。
1908年:林・ルミユー協定(Hayashi-Lemieux Agreement)で、日本政府が移民規制を行うことを約束する代わりに、カナダは日本からの移民に差別的な法律を課さないことに合意しました。この協定は、1922年から1925年にかけて再交渉され、カナダへの日本人移民を減らすことになった。
1908年:この時代のカナダへの渡航はハワイを経由してくるものが一般的でした。”continuous journey”という条例が始まり、途中の国で立ち寄りをする経路を使用した移民の入国が禁止されました。
1911年:日本からの移民は9,021人まで増えました。
1912年:サスカチェワンの法律で、日本人、中国人などアジア人のビジネスオーナーが白人女性を雇うことが禁止されました。
第二次世界大戦(1939-1945):第二次世界大戦中、日系カナダ人に対する差別は悪化しました。戦後は、何千人もの日系カナダ人が家から追い出され、労働キャンプや収容所に送られました。
「移民」と聞くと、受け入れ側の国のことのみが思い浮かびます。しかし、移民とは「一国から一国への人の流れ」であり、受け入れ国と出身国に関わることです。
歴史から日本政府の「人材資産流出を防ぐ」政策が明らかになりました。この過去の政策がどこまで現在の政策に影響しているのか、直接の関係を明らかにすることは困難ですが、歴史的背景を知る事で、現在の法律や政策を意識して理解することが大切になります。
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